【第102回】特別損耗補修費用負担における経年劣化考慮

はじめに

特別損耗補修費用を賃借人に負担させる際に、特別損耗を補修するにあたって通常損耗による減価分も回復される場合に、その減価分の負担先はどちらになるのかについて、大阪高裁の判例を記載したいと思います。

大阪高裁平成21年6月12日判決

主文

一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一 控訴の趣旨
一 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。

第二 事案の概要

一 事案の要旨
(1) 本件は、控訴人から住宅(以下「本件住宅」という。)を賃借していた被控訴人 が、建物賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を解約し本件住宅を明け渡したと主張して、控訴人に対し、差し入れた敷金(ただし、任意の返還を受けた金額を除く残額)二八万三三六八円の返還及びこれに対する本件住宅の明渡しの日の翌日である平成一九年七 月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
(2) 原審は被控訴人の請求を一部認容したので、控訴人は控訴した。

二 前提事実、争点、争点に関する当事者の主張は、三において当審における当事者の主 張を追加するほかは、原判決の「事実及び理由」の第二の一ないし三(同二頁八行目から同六頁一一行目まで)のとおりであるから、これを引用する。

三 当審における当事者の主張
(1) 控訴人の主張
ア 特別損耗を除去するための補修の結果として通常損耗も回復される場合、当該補修によって回復した通常損耗による減価分は、賃貸人の負担となるべきであり、賃借人の負担は補修金額全体から減価分を控除した残額のみに止めるべきであるという見解(以下「経年劣化考慮説」という。)は、以下に述べる理由からして、法解釈論として失当であり、特別損耗において賃借人が履行すべき原状回復義務の内容は、社会通念上相当な補修であり、 賃借人が原状回復義務を履行しない場合において負担する金銭債務は、相当補修に相当する費用の全額であると解すべきである(以下「相当補修説」という。)。
(ア) 社会一般における建物賃貸借の実務運用及び裁判実務の大勢は、相当補修説によ って動いてきている。
(イ) 原状回復義務の法的性質は、「なす債務」であるが、建物の特別損耗について賃借人が履行すべき原状回復義務の内容は相当補修であり、その填補賠償債務も、債務者の経済負担としては同等になるべきものであるから、賃貸人は、賃借人に対して、原状回復義務の履行に代わる填補賠償請求権として、相当補修費用を請求することができる。
なお、特別損耗を除去するための相当補修を実施した場合、部分的にせよ通常損耗も除去されることがあるが、逆に、相当補修の結果として、特別損耗の除去すらも不完全に終わることがある。 そして、特別損耗を除去する場合の相当補修を実施したときに、通常損耗も除去された場合 、賃借人が賃貸人に対し、除去された通常損耗分の補修費用を返還請求できる法的根拠はな い。
(ウ) 経年劣化考慮説によると、減価割合について依拠すべき基準がなく、場当たり的な判断になるという問題がある。
(エ) 善管注意義務の債務不履行責任や不法行為責任の場合、経年劣化考慮説に立つと 、社会通念に反した結果となり、採り得ないから、経年劣化考慮説は、善管注意義務の債務 不履行責任や不法行為責任との整合性がない。
イ 特別損耗の発生について、賃借人に善管注意義務違反が認められる場合にも経年劣化考慮説によるとすると、賃借人が故意に家屋を破損した場合にも、その損害賠償額とし ては、経年劣化が考慮されることになるし、レンタカーの借主が過失によって車両を損傷さ せた場合にも、車両の経年劣化を考慮して、損害賠償を相当補修費用の一部に限定することになるが、その帰結は、社会通念に反しており、甚だしく不当である。

(2) 被控訴人の主張
ア 通常損耗による建物の減価は賃料によって補填される関係にあるといえるから(最高裁判所平成一七年一二月一六日第二小法廷判決)、特別損耗について賃借人が原状回復義務を負う場合であっても、通常損耗による建物の減価まで補填しなければならないとすると、結局、賃借人は賃料と二重に負担することになるから、以下のとおり、原状回復の範囲から通常損耗を除外することは当然である。
(ア) 多くの賃貸事業者は、経年劣化を考慮して原状回復費用を算定してきたのであり、調停や裁判においても同様である。
(イ) 特別損耗を除去する場合の相当補修を実施したときに、通常損耗も除去された場 合、賃借人は、賃貸人に対し、有益費償還請求権(民法六〇八条二項)を根拠に、賃貸人に通常損耗に相当する補修金額を請求できるから、賃借人が自ら補修した場合と原状回復義務の履行に代わる填補賠償請求権との間に差異はない。
(ウ) 補修の箇所や方法に応じて、減価分を個別に確定することは何ら困難ではない。
(エ) 不法行為責任の場合も、賃料によって補填されている通常損耗に相当する減価分は損害に当たらないというべきであるから、整合性がないことはない。
イ 善管注意義務の債務不履行による損害賠償請求の場合も、通常損耗に相当する減価分は損害に当たらず、原状回復義務の場合と同様である。

第三 当裁判所の判断

一 当裁判所も、被控訴人の本訴請求は、附帯請求部分以外は、原判決が認容した限度で理由があり、その余は理由がないものと判断する。その理由は、次項において当審における 控訴人の主張に対する判断を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」の第三の一ないし 三(同六頁一三行目から同九頁二四行目まで)に説示するとおりであるから、これを引用す る。

二 当審における控訴人の主張に対する判断
(1) 賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものであるから、建物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている(最高裁判所平成一七年一二月一六日第二小法廷判決・判例時報一九二一号六一頁参照)。したがって、クロスのように経年劣化が比較的早く進む内部部材につい
ては、特別損耗の修復のためその貼替えを行うと、必然的に、経年劣化等の通常損耗も修復してしまう結果となり、通常損耗部分の修復費について賃貸人が利得することになり、相当ではないから、経年劣化を考慮して、賃借人が負担すべき原状回復費の範囲を制限するのが相当である。
(2) 控訴人は、原状回復義務の法的性質は、「なす債務」であるが、建物の特別損耗について賃借人が履行すべき原状回復義務の内容は相当補修であり、その填補賠償債務も、債務者の経済負担としては同等になるべきものであるから、賃貸人は、賃借人に対して、原状回復義務の履行に代わる填補賠償請求権として、相当補修費用を請求することができる旨主張している。
 しかしながら、賃貸借契約終了時に賃借人が補修しなければならないのは、厳密には当該賃借物件の賃貸借契約締結時の状態から通常損耗分を差し引いた状態までであり、換言すれば賃借人は特別損耗分のみを補修すれば足りるものであるが、施工技術上、上記状態までの補修にとどめることが現実的には困難ないし不可能であるため、通常損耗分を含めた原状回復(クロスでいえば、全面貼替え)まで行っているものである。したがって、このような補修工事を行った賃借人としては、工事後、有益費償還請求権(民法六〇八条二項)を根拠に、賃貸人に通常損耗に相当する補修金額を請求できるものと解されるから、賃貸借契約終了時に、賃借人自ら補修工事を実施しないときは、賃借人としては、当該賃借物件の賃貸借契約締結時の状態から通常損耗分を差し引いた状態まで補修すべき費用相当額を賃貸人に賠償すれば足りるものと解するのが相当である。これを論難する控訴人の主張は、独自の見解であって採用できない。
 そして、国土交通省住宅局及び財団法人不動産適正取引推進機構は、平成一六年二月、「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(改訂版)」(以下「ガイドライン」という。)(甲四、乙一〇)と題する冊子を発行しているが、同冊子の見解は、上記と同旨の見解に立脚するものであるから、相当である。
 (3) 控訴人は、経年劣化考慮説によると、減価割合について依拠すべき基準がなく、場当たり的な判断になるという問題があると主張している。しかしながら、個別事案において、減価割合がどの程度であるかについては、個別事案における立証の問題であって、減価割合に関する判断が一般的に困難であるからといって、経年劣化を考慮して原状回復の範囲を決定することが誤りになるものでもないから、控訴人の上記主張は採用できない。

 そして、本件の場合は、減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和四〇年三月三一日大蔵省令第一五号。平成一九年三月三〇日財務省令第二一号による改正後のもの)によると、クロスの耐用年数は、別表第一の「器具及び備品」の「一家具、電気機器、ガス機器及び家庭用品(他の項に掲げるものを除く。)」の細目「じゅうたんその他の床用敷物」の細目「その他のもの」に準ずるものと考えられるから、六年であり、被控訴人は、七年一〇か月間本件住宅に居住していたのであるから、ガイドライン(甲四、乙一〇)に照らせば、通常損耗による減価割合は、九〇%と認めるのが相当である。
(4) 控訴人は、善管注意義務違反の債務不履行責任や不法行為責任の場合にも、経年劣化考慮説によると、社会通念上不当な結果になる旨主張している。しかしながら、賃借人に善管注意義務違反という債務不履行責任や不法行為責任がある場合でも、通常損耗の範囲では損害の発生はなく、善管注意義務違反と相当因果関係の認められる損害は、特別損耗の範囲に限られるものというべきであって、原状回復義務の範囲と異なることはなく、この点に関する控訴人の主張も採用できない。
三 附帯請求の起算日について
・・・

 四 結論
以上によれば、被控訴人の本訴請求は、敷金残額二五万三二九八円及びこれに対する平成一九年七月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないから、原判決のうち、附帯請求部分を除く判断は相当であるが、附帯請求の起算日を同年八月一一日とした判断は不当であるところ、被控訴人は、原判決に対して控訴も附帯控訴もしていないから、不利益変更禁止の原則(民事訴訟法三〇四条)により、原判決の結論を維持するほかなく、控訴人の控訴を棄却するに止めざるをえない。
よって、本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。